母親
天邪鬼
帰宅しました ^^
眼が疲れた
約15年ぶりに会った人が居ました。
こんばんは
と言うと、 睨まれ それから
伯母とコソコソ話をしてはこちらを見、完全無視されました。
ココに私はいるはずなのに、居ないように振る回られる。
伯母が まはちゃん 〜〜〜 というとそれには返答せず、
私がその場から居なくなると、コソコソと話をする。
こういうのを一般的に何と言うのでしょうか
シカト
虐め
陰湿 
そんな昨今、よく眼に耳にする言葉で表現していいのかな
分かんないやっ
父方、母方 双方の祖父母で元気だったのは父方の祖母だけで、
ほかはすでに他界しています。
その元気だった祖母が倒れたと連絡を受け、帰ってきました。
父と一緒に帰ったのですが、
父が私に気を使ったのか
まは が帰らないといけないと言うから自分も帰るわ
と言い残し帰って来ました。
父は私に (自分の)仕事もあるし と言ってましたが、
本意は定かではありません。
父に久々に会ったとき掛けられた言葉は、
元気か
病気してないか 
お金に困ってないか
だったんですけど、
それを母親にいうと、
それは! それは! 宜しゅうございましたね!!!
と、取って置きの嫌味口調で焼もちを焼かれました。
お母さん と呼ぶと それが気に入らないらしく、
それだけあんたにとって私は 他人ということなのでしょうね
と、これまた延々、嫌味口調で。
お母ちゃん と呼ばなければならないようです。
小学3年生 9歳のころには どこかがおかしい と漠然と、
それでも、完全に感じ取っていました。
思い返せば、私が生まれてすぐに祖父母に預けられたときからおかしいのかもしれません。
今となってはココっていうピンポイントでは分からない。
約15年ぶりに会った。 答えはタイトル。
これが私の長年の、 物心ついたときからの悩みでもあり、
荷物でもあり、いろいろなものなのです。
衝撃的告白 ・・・ だったかな
また、追々 綴っていきますわ
祖母は意識不明になっていますが、頑張っています ^^
脳梗塞で、イビキをかきながら寝っぱなし。
昨夜は、麻痺した手のように閉じているでもなく、開いているでもない手でしたが、
今朝はキチンと開いてました。
私は、帰るといつも手を握りながら話し、
帰り際に握手をして帰っていました。
今回は、お話は出来ないから、幾度と無く手を握りました。
始めてキチンと話をしたとき(私が20歳)に、
私の手を握りながら、涙を浮かべながら、
まは は、やっぱり●●(父)の娘で、私の孫だった
と言ってくれたときは、とてもとても嬉しかった。
祖母に会いに行っただけで、母親から怒られるので、
内緒でこっそり帰り、バレルと怒られの繰り返し。
内緒でも怒られても幾度と無く帰っていてよかったです^^
まだまだ頑張ってほしいけれど、 95歳の体は悲鳴を上げているのかもしれません。
いつもはお盆に帰っていたけれど、
なぜか、 彼岸に帰ろう かと悩んだ今春。
そのことを言うと、父も同じことを考えていたとか。
父も 実の母親(祖母)に簡単には会えない状況だったのです。
久々に会った今回、意識不明でした。
実子でもなく、長男の嫁でもない母親が、
それらの人々を掻き分け、最前で陣取りしている姿を見ると、
娘として、祖母の孫として苛立ちと、怒りと、恥ずかしさと。
いろいろな負の気持ちが入り混じりました。
最後尾に居る、実子の父の姿を見ると悲しさしか無かったです。
死に水は取れない覚悟をして帰宅しました。
おそらく、父も同じでしょう。
母親は今も最前に居るのでしょう。
母親に誰が連絡したのか分かりませんが、
母親が居ない場合は、父も私も何日でも泊り込む予定だったのです。
そして、母親が居ると もしものときの葬式 には行くことが出来ないので、
今回はお別れの握手をいっぱいしてきました。
私としては、このままでもいいから頑張ってほしい。
温かくて柔らかい祖母の手は、何にも変え難いものなのです。
父を 外に出すつもりは無かった と過ぎ去りし日を遠目で見て言う祖母の姿は忘れません。
余談 : 今回の父の行き運転は、 スピードも荒さも最上で怖かった
帰り、空から扇状に射している光がとても神秘的で、
父と一緒に ほけ〜 と見入ってしまいました (笑)
眼が疲れた

約15年ぶりに会った人が居ました。
こんばんは
と言うと、 睨まれ それから
伯母とコソコソ話をしてはこちらを見、完全無視されました。
ココに私はいるはずなのに、居ないように振る回られる。
伯母が まはちゃん 〜〜〜 というとそれには返答せず、
私がその場から居なくなると、コソコソと話をする。
こういうのを一般的に何と言うのでしょうか

シカト
虐め
陰湿 
そんな昨今、よく眼に耳にする言葉で表現していいのかな

分かんないやっ

父方、母方 双方の祖父母で元気だったのは父方の祖母だけで、
ほかはすでに他界しています。
その元気だった祖母が倒れたと連絡を受け、帰ってきました。
父と一緒に帰ったのですが、
父が私に気を使ったのか

まは が帰らないといけないと言うから自分も帰るわ
と言い残し帰って来ました。
父は私に (自分の)仕事もあるし と言ってましたが、
本意は定かではありません。
父に久々に会ったとき掛けられた言葉は、
元気か
病気してないか 
お金に困ってないか

だったんですけど、
それを母親にいうと、
それは! それは! 宜しゅうございましたね!!!
と、取って置きの嫌味口調で焼もちを焼かれました。
お母さん と呼ぶと それが気に入らないらしく、
それだけあんたにとって私は 他人ということなのでしょうね
と、これまた延々、嫌味口調で。
お母ちゃん と呼ばなければならないようです。
小学3年生 9歳のころには どこかがおかしい と漠然と、
それでも、完全に感じ取っていました。
思い返せば、私が生まれてすぐに祖父母に預けられたときからおかしいのかもしれません。
今となってはココっていうピンポイントでは分からない。
約15年ぶりに会った。 答えはタイトル。
これが私の長年の、 物心ついたときからの悩みでもあり、
荷物でもあり、いろいろなものなのです。
衝撃的告白 ・・・ だったかな

また、追々 綴っていきますわ

祖母は意識不明になっていますが、頑張っています ^^
脳梗塞で、イビキをかきながら寝っぱなし。
昨夜は、麻痺した手のように閉じているでもなく、開いているでもない手でしたが、
今朝はキチンと開いてました。
私は、帰るといつも手を握りながら話し、
帰り際に握手をして帰っていました。
今回は、お話は出来ないから、幾度と無く手を握りました。
始めてキチンと話をしたとき(私が20歳)に、
私の手を握りながら、涙を浮かべながら、
まは は、やっぱり●●(父)の娘で、私の孫だった
と言ってくれたときは、とてもとても嬉しかった。
祖母に会いに行っただけで、母親から怒られるので、
内緒でこっそり帰り、バレルと怒られの繰り返し。
内緒でも怒られても幾度と無く帰っていてよかったです^^
まだまだ頑張ってほしいけれど、 95歳の体は悲鳴を上げているのかもしれません。
いつもはお盆に帰っていたけれど、
なぜか、 彼岸に帰ろう かと悩んだ今春。
そのことを言うと、父も同じことを考えていたとか。
父も 実の母親(祖母)に簡単には会えない状況だったのです。
久々に会った今回、意識不明でした。
実子でもなく、長男の嫁でもない母親が、
それらの人々を掻き分け、最前で陣取りしている姿を見ると、
娘として、祖母の孫として苛立ちと、怒りと、恥ずかしさと。
いろいろな負の気持ちが入り混じりました。
最後尾に居る、実子の父の姿を見ると悲しさしか無かったです。
死に水は取れない覚悟をして帰宅しました。
おそらく、父も同じでしょう。
母親は今も最前に居るのでしょう。
母親に誰が連絡したのか分かりませんが、
母親が居ない場合は、父も私も何日でも泊り込む予定だったのです。
そして、母親が居ると もしものときの葬式 には行くことが出来ないので、
今回はお別れの握手をいっぱいしてきました。
私としては、このままでもいいから頑張ってほしい。
温かくて柔らかい祖母の手は、何にも変え難いものなのです。
父を 外に出すつもりは無かった と過ぎ去りし日を遠目で見て言う祖母の姿は忘れません。
余談 : 今回の父の行き運転は、 スピードも荒さも最上で怖かった
帰り、空から扇状に射している光がとても神秘的で、
父と一緒に ほけ〜 と見入ってしまいました (笑)
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- [2007-04-11 20:28] [
- 天邪鬼] [
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