気のありよう
天邪鬼
三つ子の魂百まで
幼いころの性格は、年をとっても変わらないということ
Yahoo辞書より引用
という諺(ことわざ)がある。
子供のころによく言われた言葉。
当時も今も
子供に言う言葉ではないと思います。
これは親が充分理解する言葉だと。
子は親の鏡
という言葉がある。
子供の頃は分からなかったけど、今はよ〜く分かる。
虐めはどの世界でもあること。
最近、特に問題視される虐めだけど、
昔も今もこれからもなくなりはしないだろうと。
(種類ややり方が変わっても)
決して、消極的なことを言っているのではなく、
ある意味仕方がないこと。
しかし、 仕方がない では済まされないこと。
どの世界でも というのは、
幼い頃の 保育園・幼稚園
小学校〜大学 社会人にも
そして、家庭にもあることだと思っています。
母親が
お父さんみたいにならないで!
お父さんみたいになるよ!
もう! ホントにお父さんは!
子供の目の前で
近所の人の悪口を言ったり、
いつもは仲良く振舞っている人だけど、大人の事情で一時の悪口を言えば、子供にとってそれが完全な悪口に聞こえる。
これが家庭内の虐めの一種。
人を貶すこと を 身近で 生まれた頃から 長い間接触している親から学ぶ。
子供は マッサラな心 で生まれてきます。
そのマッサラなカラーも柄も着いていない心、思考に
育つという成長過程で ひとつひとつ 加えていく。
その見本の大元は 親。
初めての子供をどのように育てていこうかと
不安 ・ 希望 ・・・いろいろな気持ちを抱く。
経験したことがない事柄で、
逃れようがない場合、
人は誰でも 真っ向勝負 をすることが多い。
不安を抱えつつ、希望を持ち続け、
自分の持っているすべてのものを試行錯誤しながら、
正直に 真っ向勝負する。
喜怒哀楽 を持ち合わせている人間は、
子を育てることでこれらを成人になって日々、
時には数分間隔で表現しながら子育てをします。
喜怒哀楽 表現豊かに育てることが大切なんだと私は思う。
どれかが欠けていることで 偏り になる可能性があるかもしれないと思っているから。
真っ向勝負で 正面からいつでも向き合って育てた第1子は
親の愛情を豊かに受け成長しているでしょうね。
しかし、人というものは
経験から 楽をしよう としたり、
経験から 決め付け というものに囚われたり。
第2子 の場合、
すでに経験済みな 子育て に対し、
真っ向勝負 の気持ちはなくなっていることが多い。
自分の経験から
こういうときは このように対処
こういうときは このように言う
こういうときは ・・・
こういうときは ・・・
確かに経験から 最短の 対処・行動・言動 をすることは悪いことではありません。
しかし、第2子が
マッサラな子供だということは置き去り。
手を抜いている気はなくとも
見本である親が オザナリ にしていると、
そのカラー・柄・・・が加わる。
少しでも泣くと様子を見ていた第1子
少しでも様子がおかしいと細かなことまで観察していた第1子
全身全霊で受け止め、全身全霊で対処していたと思います。
第2子がやんちゃだったり、意地悪だったりすることが多いのは、
親が 第2子に対して いい加減な対応をしていることがあるから。
ココでいう いい加減 とは
おざなり ・ 無責任な ・ 気のない という意味合い。
逆に 必要以上に 怒り散らすことで
第2子が 大人し過ぎる場合もある。
これも 第1子で経験した嫌な思いを第2子がすることで
必要以上に怒ることで萎縮。
子は親の鏡
第1子と第2子への親の対応が違うこと、気持ちの在りようが違うこと。
第1子と第2子、第3子・・・とそのときの親の気持ちの在りようが違うのは当たり前のこと。
しかし、その子にとってはそのときの親が見本であることは忘れないで欲しい。
第1子では 不安で仕方がなかった何でもないことが、
経験により第2子以降には抱かないのも当たり前だけど、
それがその子の見本。
そして、その見本があるからこそ その子は
楽を求めようとしたり、萎縮したり、悪戯をして親の気を引こうとしたり・・・。
不安と希望は紙一重
不安を抱けば、誰でもそこから奪回しようと希望を持ちます。
だから、私は不安を抱いて欲しいと思います。
三つ子の魂百まで
幼い頃に見本から学んだことは後世まで見本となります。
第1子のときと同じように、
不安を抱き、希望を捨てず
全身全霊で第2子以降の子供も育てて欲しい。
第1子 と 第2子 は 全く別人 だということを忘れないで欲しい。
幼いころの性格は、年をとっても変わらないということ
Yahoo辞書より引用
という諺(ことわざ)がある。
子供のころによく言われた言葉。
当時も今も
子供に言う言葉ではないと思います。
これは親が充分理解する言葉だと。
子は親の鏡
という言葉がある。
子供の頃は分からなかったけど、今はよ〜く分かる。
虐めはどの世界でもあること。
最近、特に問題視される虐めだけど、
昔も今もこれからもなくなりはしないだろうと。
(種類ややり方が変わっても)
決して、消極的なことを言っているのではなく、
ある意味仕方がないこと。
しかし、 仕方がない では済まされないこと。
どの世界でも というのは、
幼い頃の 保育園・幼稚園
小学校〜大学 社会人にも
そして、家庭にもあることだと思っています。
母親が
お父さんみたいにならないで!
お父さんみたいになるよ!
もう! ホントにお父さんは!
子供の目の前で
近所の人の悪口を言ったり、
いつもは仲良く振舞っている人だけど、大人の事情で一時の悪口を言えば、子供にとってそれが完全な悪口に聞こえる。
これが家庭内の虐めの一種。
人を貶すこと を 身近で 生まれた頃から 長い間接触している親から学ぶ。
子供は マッサラな心 で生まれてきます。
そのマッサラなカラーも柄も着いていない心、思考に
育つという成長過程で ひとつひとつ 加えていく。
その見本の大元は 親。
初めての子供をどのように育てていこうかと
不安 ・ 希望 ・・・いろいろな気持ちを抱く。
経験したことがない事柄で、
逃れようがない場合、
人は誰でも 真っ向勝負 をすることが多い。
不安を抱えつつ、希望を持ち続け、
自分の持っているすべてのものを試行錯誤しながら、
正直に 真っ向勝負する。
喜怒哀楽 を持ち合わせている人間は、
子を育てることでこれらを成人になって日々、
時には数分間隔で表現しながら子育てをします。
喜怒哀楽 表現豊かに育てることが大切なんだと私は思う。
どれかが欠けていることで 偏り になる可能性があるかもしれないと思っているから。
真っ向勝負で 正面からいつでも向き合って育てた第1子は
親の愛情を豊かに受け成長しているでしょうね。
しかし、人というものは
経験から 楽をしよう としたり、
経験から 決め付け というものに囚われたり。
第2子 の場合、
すでに経験済みな 子育て に対し、
真っ向勝負 の気持ちはなくなっていることが多い。
自分の経験から
こういうときは このように対処
こういうときは このように言う
こういうときは ・・・
こういうときは ・・・
確かに経験から 最短の 対処・行動・言動 をすることは悪いことではありません。
しかし、第2子が
マッサラな子供だということは置き去り。
手を抜いている気はなくとも
見本である親が オザナリ にしていると、
そのカラー・柄・・・が加わる。
少しでも泣くと様子を見ていた第1子
少しでも様子がおかしいと細かなことまで観察していた第1子
全身全霊で受け止め、全身全霊で対処していたと思います。
第2子がやんちゃだったり、意地悪だったりすることが多いのは、
親が 第2子に対して いい加減な対応をしていることがあるから。
ココでいう いい加減 とは
おざなり ・ 無責任な ・ 気のない という意味合い。
逆に 必要以上に 怒り散らすことで
第2子が 大人し過ぎる場合もある。
これも 第1子で経験した嫌な思いを第2子がすることで
必要以上に怒ることで萎縮。
子は親の鏡
第1子と第2子への親の対応が違うこと、気持ちの在りようが違うこと。
第1子と第2子、第3子・・・とそのときの親の気持ちの在りようが違うのは当たり前のこと。
しかし、その子にとってはそのときの親が見本であることは忘れないで欲しい。
第1子では 不安で仕方がなかった何でもないことが、
経験により第2子以降には抱かないのも当たり前だけど、
それがその子の見本。
そして、その見本があるからこそ その子は
楽を求めようとしたり、萎縮したり、悪戯をして親の気を引こうとしたり・・・。
不安と希望は紙一重
不安を抱けば、誰でもそこから奪回しようと希望を持ちます。
だから、私は不安を抱いて欲しいと思います。
三つ子の魂百まで
幼い頃に見本から学んだことは後世まで見本となります。
第1子のときと同じように、
不安を抱き、希望を捨てず
全身全霊で第2子以降の子供も育てて欲しい。
第1子 と 第2子 は 全く別人 だということを忘れないで欲しい。
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- [2007-06-10 15:49] [
- 天邪鬼] [
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